プロフィール

写真:武藤一彦氏

武藤一彦(むとう・かずひこ)

ゴルフジャーナリストとして新聞、テレビ解説で活躍。2005年から夏泊ゴルフリンクス理事。2017年理事長就任。他に日本プロゴルフ協会理事、世界ゴルフ殿堂選考委員などを務める。

1964年報知新聞社に入社。ゴルフは国内ツアーはじめ全英オープンなど世界メジャーを取材。スポーツジャーナリストとしてボストンマラソン、プロボクシングの世界タイトル戦なども取材した。

中でも全英オープンゴルフは1977年、スコットランド・ターンベリーのワトソン・ニクラウスの"世紀の対決"以来、数々の名勝負を観戦。リンクスコースへの強い思い入れと造詣で知られる。
1939年生まれ、東京出身。立大時代はゴルフ部。

風とグリーンが全英オープンを“演出”する夏泊リンクスで 第2の畑岡奈紗、渋野日向子を育てる中嶋合宿、いよいよスタート

 中嶋常幸プロが主宰するトミーアカデミー合宿が昨年末、夏泊ゴルフリンクスで行われた。第2の松山英樹を目指す男子4名、畑岡奈紗、渋野日向子を目指す女子3名の選抜メンバー7人は昨年11月、ロッジに3日間泊まり4日間みっちりラウンドを行った。1954年生まれの中嶋65歳。ジュニアで日本パブリック選手権、日本アマ優勝、プロとなって日本プロ、日本オープン、日本シリーズなど日本8冠を含むツアー59勝、シニア5勝。80年代には賞金王4回に輝いたレジェンドは、所属する静ヒルズCCで畑岡らを育て、世界に送り出した。ジュニアという言葉が珍しかった時代、ジュニア出身のパイオニアだった中嶋が東北の青森で第2、第3のホープ育成に本腰を入れ今後、毎年秋恒例のイベントはとして行われる。地元ジュニアの育成イベントも計画され期待が集まる画期的なイベントを紹介する。

 そもそも夏泊にやってくることになったのは、こんな、いきさつ。子煩悩で知られる中嶋プロは、夏休みには家族4人で必ずキャンプ生活を楽しんできたが、青森では20年前から十和田湖の釣りとゴルフが定番でもっぱら日本海側の鯵ヶ沢近辺が多かった。そんな折り、一昨年夏、青森滞在中、初めて夏泊をプレーして「ゴルフリンクスの難しさにしびれた。こんなコースが日本にもあったのかと感動した」のだった。16番パー5だった。「アゲインストの強風が吹き16番、635ヤードは、ドライバー、3番ウッド、3打目は「直ドラ」のナイスショットでグリーン脇までたどり着くのがやっとだった」と久しぶりに血が躍ったという。
 今回4日間の合宿中も2日間が強風、1日はそよ風、もう1日はやや強風だった。「故郷・群馬の空っ風も有名だけど、夏泊も負けてはいない」と振り返る。

 夏泊では95年に日本プロ選手権が開催され、佐々木久行プロが優勝したのは周知のとおり。だが、その年、中嶋プロは大会前週のフジサンケイで優勝しながら風邪をひき欠場したこともあって何かと気になっていた。日本プロは日本最古の公式戦。病気とはいえ欠場は、プロ生活最大の汚点と受け止め、こだわりとなっていたのかもしれない。新鮮な驚きが次々と湧き出てきたという。

 「6番ティーから函館を臨む3方が海の景観もあるアウトの9ホールもいいが、インの9ホールには全英オープンと思えるリンクスの雰囲気がいっぱい。強風の日はアゲインスト、横風が吹き、本当に全英オープンになる」そして、その感性はグリーンにも注がれた。「世界のグリーンはポワナグリーンというのは今や世界の常識だが、夏泊のグリーンが日本では最も近い。ポワナは和名がすずめのかたびら。日本ではベント芝を食い荒らす悪者みたいに言うが、アメリカの中西部など名コースと言われるトーナメント会場の多くはポワナの高速グリーンだ。夏泊はポワナではないが、本州最北端の厳しい環境が最も世界に近いグリーンを作り出して貴重。ジュニアには1日も早く慣れさせようと連れてきたが、良かった、いい経験ができた」と大変なほれ込みようだ。

 夏泊とトミーアカデミーでは今後、これらの特性を生かし恒久的にジュニア合宿を計画していくことになる。時期は寒さに入る今年と同じ11月。全英の厳しさを求めて繰り広げられる。

 中嶋のプロ処世訓ともいえる考えを1、2,あげさせてもらう。
 「トーナメントに勝つことは、突き詰めれば1番上手くコースと戦えた人が勝つのだと僕は思っている。単純なことで、誰よりも自分自身が、技術と勇気と忍耐力を持ってコースに勝ち抜くことが試される。それがトーナメントだ」
 「強風が吹く夏泊ゴルフリンクスは、ボギーを打ってもダボを打っても、良い先生に指導される生徒の気持ちのようになれる。次は克服してやるぞという気持ちになる。夏泊は春と秋の風がいいらしい。強風の日にラウンドすれば、誰でも最高の教師に教えてもらえる」―

 筆者は、95年の日本プロで夏泊を知りのちに理事を経て理事長を拝命した。当夏泊リンクスのコース設計者、海老原寿人社長が立大ゴルフ部の後輩という内輪な事情があるもののゴルフ記者を経て夏泊と深い関係ができたことをグッドラックのなせるわざ、あるいは運命と受け止め享受している。同じことが中嶋プロとの間にも起こった。新聞記者時代、中嶋プロの76年ゴルフダイジェストのツアー初優勝をはじめ優勝した試合のほとんどを取材した。78年全英オープンデビュー(セントアンドリュース)には同じ飛行便でスコットランドまでの遠征に同行。中嶋プロが全英オープンで最終日、最終組を回った86年、ターンベリーでは、強風の中、豪州の白鮫、グレッグ・ノーマンと丁々発止とやりあい、ノーマンに優勝を譲る8位に終わったが、現地特派員としてともに胸を張って世界と戦った、いい思い出を共有して今思い出すに興奮する。昨年夏、渋野日向子が全英女子オープンで快挙をもたらしたが、歴史は突然作られるものではない。先人の足跡が必ず何らかの相乗効果を及ぼす、と日ごろ思っている身には、中嶋の姿がオーバーラップしたことだった。トミーは昔から人の気持ちをそらさない、いいやつで涙もろく、他人はほめるが、決してけなさず自分の失敗は許さず、時に声を放って泣く純粋さにほだされファンとなった。そんな人間たちがいま夏泊にどういう運命か、集まった。中嶋プロには予想外のお褒めをいただき、こんな光栄なことはないとひたすらよろこんでいる。合宿が毎年滞りなく行われ、ジュニアがすくすくと育つ環境を夏泊が支援できることを心から誇りに思う。バックアップを惜しまない。思う存分、ジュニアを、ゴルフを、中嶋プロには育てていただきたい、と思う。

(この記事は、ゴルフ隔週誌アルバトロス・ビュー「アルバ」12月号の中嶋プロの人気コラム「すべては最善のために」を参考にしました。ありがとうございました)

2020年2月4日

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夏泊ゴルフリンクスに開いた驚異のエージシューター田中菊雄の世界

本 田中菊雄の世界

 エージシューター田中菊雄さんのことは本コラムでも何回か紹介したが、田中さんのエージシュートは令和元年の9月19日現在、480回を数えたことをここでご報告しておきます。現在84歳の田中さんは71歳の時、70のエージシュートをやったのを期に14年間、エージシュートに挑戦。その数、ついに480の大台となり、達成コースは実に64コースに達した。

 エージシュートは自分の年令と同じか、それ以下のスコアで回ることを言いますが、健康で長生きしゴルフを続けていれば誰でもできる、ある意味、こだわりのゴルフの楽しみ方。だが、ホールインワンと違って、年令と同じスコアとなるとそう簡単ではないのは誰もが知るところです。プロの名手でも年を重ねれば体力気力の衰えが足を引っ張り、若い時のスコアは望むべくもないのが現実です。

 でも、田中さんにとっては、この年令との追いかけっこがいま、実にいい関係にある。そう,トシを重ねるごとにエージシュートがふえているのです。64コースで480回のエージシュートを年令別にみると79歳までの9年間で54回だったのが、80歳では年間50回と急増。以後年を重ねるごとに毎年、回数は増えつづけ83歳時には125回。そして84歳の今年は、来年3月3日の誕生日まで丸5か月も残しているというのに、すでに80回を数え、このペースだと自己の年間記録125回をはるかに超えるハイペースなのだ。

 田中さんには夢がある。「ギネスブックには生涯で2000回を越えるエージシュートをやっている人、102歳でエージシュートを達成した人の記録もあるが、世界一の長寿国・日本は、みんなが元気で長生きを目指すことがテーマとなっているいま、その先頭に立って頑張って行きたい」のだ。

夏泊を訪れた田中さん

 田中さんは今年も8月、夏泊ゴルフリンクスを訪れた。41,42の83で回りエージシュートをやった。夏泊には毎年夏に3年連続の挑戦だが、17年は初来場で39,38の77、さらりと回ったときは本当に驚いたものだ。だが、その翌年はスタート直後の2番、強い向かい風のパー3で池に2発入れる7で気勢をそがれ失敗している。夏泊は風次第で難易度は大きくぶれて大変なのだ。

 夏泊のエージシューターといえば、メンバーの溝江金吾さんという人がいらっしゃった。99年夏、73歳の溝江さんは60人のコンペのレギュラーティーから73、さらに4年後、77歳のとき76で5回目を達成している。その顛末はコースの会報誌「MARINA」(マリーナ)のコラム「たかがゴルフ されどゴルフ」に掲載されている。「今思えば、私が病気にならなかったならば、その病気がガンの宣告でなければ、エージシュウト(原文のまま)などあり得なかったと思う。弘前大学病院での闘病において、もう一度ゴルフをやりたい、もう一度グリーンを、緑のフェアウエイを駆けてみたいの一念がなければ、今日の私はなかったし、エージシュウトもなかったはずだ」とある。

 田中さんには年間230ラウンドをこなす体力がある。好奇心が強く、冒険心も旺盛だ。だが、59歳で大腸がんを20センチも切る10時間の大手術。78歳で白内障、79歳で前立腺と3回の手術を経験している。人生は照る日、曇る日。ゴルフの神はゴルファーに同じ試練を与え給もうのである。

2019年9月24日

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リンクスは何が起こるかわからない

全英オープン ローリー・マキロイ、タイガー、そして松山の敗因

 アイルランドで68年ぶりに開催の第148回全英オープンは大混戦で幕。地元のシェーン・ローリー(32歳)が2日目首位に立ち逃げ切りで伝統のメジャー初優勝を飾ったが、皆さんはどんな感想をおもちでしたか?私は久しぶりにリンクスゴルフを堪能。長い伝統の中でも印象に残る大会となった。

 ゴルフが自然との闘いであることを痛感した第2ラウンドは面白かった。松山英樹が予選落ち、タイガーウッズ、さらに地元期待のローリー・マキロイ、かつてワールドランキングでトップを張った豪州のジェイソン・デーもそろって“討ち死”。

 とりわけ優勝候補筆頭のマキロイは2日目に65のベストスコアを出しながら予選カットラインに1打足りず予選落ちの憂き目。他人の不幸を面白がるのはどうかといわれそうだが、アイルランド、日本、米、豪の注目選手に相次いで起こった、たぐいまれな不運を忘れないでおきたいと、ここに触れることにした。

 今回予選落ちしたトップ選手を見るとスタート時間が関係していた。タイガー、マキロイ、松山らは初日、午前スタート、このスタート時間については、しっかり規定があり、初日午前組は、2日目は午後スタート、初日午後にでると2日目は早いスタート時間となる。ゴルフコースの天候は気温や気圧の関係上、午前穏やか、午後強風が通例。そんなところからトーナメントでは早いスタート時間は好スコアが出やすく天候が急変、風も強くなる午後はスコアが出にくい、という傾向がある。ところが、その常識が全く狂ったのが今回だった。

 第1日早くから突風、横殴りの雨が吹き荒れた。松山は71のパープレー。タイガーは78、マキロイは79と苦戦。ところが荒天は午後になるとおさまり、午後組に好スコアが続出、松山は42位、タイガーは144位、マキロイは参加156人中150位と信じられない悪い出足となったのだった。なにしろ日没が午後9時過ぎという環境。一日に四季が訪れるというコースだ。変わって上位を占めたのが午後スタートの地元アイルランドのシェーン・ローリー、2位のトミー・フリートウッド、リー・ウエスウッド、そしてジャスティン・ローズのイングランド勢。いずれも恵まれた別のコースを回るような好条件を謳歌したのだった。

 相次ぐ優勝候補の脱落。中でもマキロイの胸中は計り知れない。

 イングランド、スコットランド、ウエールズ、そしてアイルランドが構成するユナイテッドキングダム、英国連合。その中でアイルランド島は宗教的な分裂を抱えて複雑だ。マキロイは北アイルランド、英国領のスターとして今回の開催コース、ロイヤル・ポートラッシュGCのアイドルとして今回は世界注目の的だった。2005年、同コースで開催のアイルランドアマ選手権(アイリッシュアマ)で史上最も若い16歳、当時のコースレコードの66をマークして優勝を飾り英国中を驚かせたのである。今回はワールドランク3位、米のD・ジョンソン,B・ケプカとの差を一気に詰め、追い抜くチャンスだった。だが、初日の大たたきで夢破れた。2日目、3番、7番バーディー、10番からは3連続バーディー。13番で唯一ボギーも14,16番バーディー。しかし、予選通過ラインには1打及ばなかった。

 ベストスコアタイの65。前日を14打も上回る豪快な追い上げで自国ギャラリーを興奮のるつぼ。が、結果は出なかった。30歳、かっこうの復活のチャンスはならなかった。名匠ハリー・コルト設計のコースを今回、リメイクして68年ぶり2回目の全英オープンに供したロイヤル・ポートラッシュは、ローリーはローリーでもシェーン・ローリー。忘れられない大会となった。コースはどうやら全英オープンの舞台を務めるローテーション入りとなるらしいが、次回は6年?7年後?が待ち遠しい。

2019年7月26日

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ゴルフはノーベル賞に良いスポーツらしい

 今年のノーベル生理学・医学賞は京都大の本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授が受賞した。がん治療に人がもともと持っている免疫力を活性化させることで治療に役立てる道を切り開いた功労による。その記者会見が10月1日、行われるとこんなエピソードを明かした。
 肺がんの患者から感謝されたという話だった。「あんたの薬のおかげでまたよくなってゴルフができている」といわれた。聞けば「最後のラウンドも済ませていた」というゴルファーだった。本庶教授、実は大のゴルフ好き。「(その言葉は)どんな賞をもらうより自分はそれで十分だと思っています」というのだった。

 この一言で会見は俄然ゴルフに話題が流れていった。“いまやりたいことは”との問いかけに本庶さんは「エージシュート」と答えている。そのやり取りはテレビのニュースでもつたえられ、エージシュートを知らない社会部記者や医学担当者に「エージシュートは自分の年令以下のスコアで回るラウンドのこと。私は76歳なので76で回ればエージシュートであるが、今の実力では無理。年齢を重ねるこの先にチャンスがあれば一生で1度、やりたいと思っている」。京都の名門コース、京都ゴルフクラブの理事長でもある本庶さん、大いにゴルフを宣伝した。

 ゴルフはノーベル賞に良い影響を与えている。同賞受賞の日本人は今回で5人目である。2012年の山中伸弥・京都大教授が、12年、大村智・北里大特別栄誉教授とゴルフを愛好する科学者が連続している。いずれもゴルファーとして最高級の資質を身にまとわれてすばらしい方々だ。
 IPSの山中教授(56歳)は、今年の別府毎日マラソンで3時間25分20秒に自己記録をマークしたアスリートだが、ゴルフも80台そこそこ、70台もしばしば出す腕前。大村教授(83歳)は「寄生虫感染症の治療法の確立」による受賞で知られるが、その受賞の対象となった細菌は静岡の名門コース、伊東市の川奈ゴルフクラブのコース近くで採集した“世紀の発見”による。ハンデ5の腕前である。これに本庶さんも入れた3人だ。

 わが身に照らし反省も含め、いま身を引き締めている。ゴルフとは調子のいい日もあれば全く当たらない日もある。その人を知るには1日18ホールを回れば人格がわかるといわれるが、そう、調子の悪い日の方が多いから不機嫌、言い訳、八つ当たり、投げやりな態度、自嘲的な言動、、。そう、そんな姿をわが身と照らしたとき深く反省する人も多かろう。だが、わがノーベル賞受賞者には、今述べた、欠点は決してない、と言い切れるのである。
 なぜなら人生かけて受賞したノーベル賞。永遠の名前が歴史に刻まれるには調子の悪い日をすべて乗り越え、やってきて今日がある。一緒に研究する恩師、後輩に嫌な思いをさせず一切自己中心的な行動なく人生を謹んでやってきたのである。
ノーベル賞は絶対取れないが、ゴルフに良いに違いない。見習いたい。

2018年10月8日

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