プロフィール

写真:武藤一彦氏

武藤一彦(むとう・かずひこ)

ゴルフジャーナリストとして新聞、テレビ解説で活躍。2005年から夏泊ゴルフリンクス理事。2017年理事長就任。他に日本プロゴルフ協会理事、世界ゴルフ殿堂選考委員などを務める。

1964年報知新聞社に入社。ゴルフは国内ツアーはじめ全英オープンなど世界メジャーを取材。スポーツジャーナリストとしてボストンマラソン、プロボクシングの世界タイトル戦なども取材した。

中でも全英オープンゴルフは1977年、スコットランド・ターンベリーのワトソン・ニクラウスの"世紀の対決"以来、数々の名勝負を観戦。リンクスコースへの強い思い入れと造詣で知られる。
1939年生まれ、東京出身。立大時代はゴルフ部。

2014年12月 アーカイブ

高速グリーン時代の到来がやってきた

 50年という節目で様々なイベントがあった。「東京五輪から50年」「青木功プロ生活50年」「東京よみうりカントリー創立50年」-2014年は先に2020年東京五輪が決まったことが刺激になったか、50年に触発されて人々がふと歴史に思いをはせた年だった。
 かくいう筆者もスポーツ新聞社に勤めたのが東京五輪の年、1964年。記者、評論家を経てジャーナリスト生活50年、出身の報知新聞社には50年連続して何らかの原稿を書き続けている。何らかの、というといい加減だが、初めて自分の原稿が新聞に載った時のほろ苦い想いがそう言わせる。初原稿は大相撲の高見山の初相撲、ハワイから初めてやってきた外人力士ジェシーが、序の口でデビューしたのを取材し10数行の雑感として掲載された。たった10行には外人初デビューのニュースとこの原稿を書き上げるまで前相撲や朝稽古取材の苦労が詰まって、新聞の切り抜きをみると自分がいとおしくなる。大人になって見る子供の頃の写真、といった感慨だが、活字にしたのが自分というところに母性が発生するのだろうか。

 「グリーンの50年」を書こうとパソコンに向かったのがつい自分のことになってしまったのは50年というキーワードにひっかかったせいらしい。2014年、関東周辺でグリーンが続々と改修されたことを伝えたかった。我孫子GC、東京よみうりCC、葉山国際CCと創立50年を迎えたコースが新世代グリーンに改造すると、カレドニアン、富里といった20数年の若いコースも改造にふみきり次々に関係者にお披露目された。遠い青森に無関係というなかれ。この新グリーンは、夏泊ゴルフリンクスをほうふつさせて硬く速くスリリングで新しい。いや、プレーすると何やら心が晴れる、意欲がわき自分のミスにおこらない、そんな感触なのであった。
 このうち実際にプレーし体感したのは我孫子を除く3コース。感想はいま述べたとおりだが、早くてスリルのあるグリーンが面白く高速グリーン時代の到来を実感できたということだ。

 「スリリングなグリーンは別のゲームを演出する」-カレドニアンではグリーンスピード13・6フィート、コンパクション24のマスターズ並みの高速グリーンを経験した。早川治良会長は意気込みを自信に変えていった「ペンクロスでスタート、2種類のベントを試した後、8年前から14種の芝をためしこの地に合う芝をさがした。夏の35度を超える暑さに耐える芝を見つけることが日本のコースのテーマだが、タイイー(TYEE)という芝が夏に強く、強い刈込などのいじめにも耐えたので採用した」という。系列の富里GCも改造、近々、アマチュアの大会などをきっかけに競技会も開く計画だ。

写真:宮本勝昌 いまベント芝の世界の主流は、007、マッケンジー、オーソリティーそしてシャーク、タイイの5種。中でもシャークは我孫子、東京よみうりが採用して注目される。日本シリーズが例年開催されるよみうりは1月に改造に入り5月に芝植え、10月に使い始め12月のゴルフ日本シリーズに間に合わせた。ツアートーナメントの公式戦開催ということで、期間限定でサンドグリーンへの改造という50年の歴史で初のプレッシャーのかかる体験をしたが、芝を青森県八戸で養生、18ホール分の芝を18台のトラックでコースへ運びグリーンに地植えした。井上誠一の設計図通りの復活を目指すと隠れていた起伏や傾斜が際立ち読みとタッチのむずかしさが出た。日本シリーズでは宮本勝昌が9アンダーと例年なら2ケタの優勝スコアが5年ぶりに1ケタとなって名ショウブとなったことは周知のとおりだ。

 三浦半島にある葉山国際は36ホールのうちエメラルドコースの改造とワングリーン化が成りコースの評価が変わった。メーンのコースより距離が短くシニア、女性向きと言われたコースがメンバーに好評でラウンド希望が逆転したという。確かに280ヤードのホールで2オンしてもカップの位置次第でパットの難易度が変わる。となると第2打の攻略性が問われるからプレーに厚みが出るというわけだ。グリーンは007(ダブルオーセブンと読む)夏も強い芝種で2014年の男女メジャー、全米オープンと全米女子オープンを2週間連続で開催した米ノースカロライナのパインハーストGCと同種だ。

 日本古来の高麗グリーンが主流の日本では暑さに弱いベント芝が沖縄まで行き渡ったのは2007年、沖縄の喜瀬CCの日本プロ選手権だった。ベント芝はまだ普及し始めたばかり、今後にまだまだ課題をのこすが、今回関東のコースが世界を視野に入れた高速グリーンに強い意欲を見せ挑戦したことは大きな意味を持つだろう。
 そして、日本に名だたるベントグリーンを持つ夏泊リンクスだ。天与の自然と気候に恵まれた自らの資質を自覚しなければならない。高速グリーンの絶妙な味わい、強風と戦い、なじみ、味方引き込んでのゲームのおもしろみを訪れるゴルファーにしっかりと伝えなければならない。コースは生きていることを50年の歴史は教えてくれた。夏泊も心して立ち止まってはならないと思った。

写真:夏泊ゴルフリンクス18番ホール

2014年12月26日

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白戸由香さん 優勝おめでとう

写真:白戸さん1 夏泊ゴルフリンクスがオープンして22年。今年6月には開場記念パーティーを行い、地元、青森県弘前市出身の女子プロゴルファー、白戸由香さんを招き,競技会やトークショー、アトラクションで祝った。ゲストの白戸さんは弘前学院聖愛高時代、ソフトボール選手。日本のトップクラス実業団チーム、日立で活躍後、19歳でプロゴルファーをめざし24歳でプロになった。

 プロ入りは1993年になるが、夏泊リンクスの開場が1992年と、そのスタートがほぼ同じ。もちろん地元出身ということもあってトークショーでは「今後、夏泊ゴルフリンクスのアイドル、あるいはシンボルプレーヤー的存在としてぜひよろしく」と長いおつきあいをお願いしたところ「ゴルファーと何より地元の活性化のために」と快く今後の交流を約束してもらった。喜んだコース女子委員会ではさっそく秋の研修会に招請しコーチを依頼すると白戸さんも快諾するなどいい関係が早くもスタートした。

 持ち前のパワーでレギュラー時代は屈指のパワーヒッター、2006年の伊藤園レディス2位がベスト、02年日本女子オープンはじめ03年には3回も3位になるなどレギュラーツアーでは3位に計5回。そのため”銅メダルコレクター“といわれた。若手の登竜門、ステップアップツアーでは1999年の穴水工務店カップで優勝、将来の大物ぶりを垣間見せていただけに惜敗続きを惜しむ声は後を絶たなかった人だ。

 

 そんな新しい交流が始まった8月のことだ。うれしいニュースがとびこんできた。女子のシニアシーズンの2戦目「シブヤカップ」で、ルーキーの白戸さん、見事に優勝を飾るのである。
 石川県金沢市郊外のシーサイドコース、ゴルフ倶楽部金沢リンクスで行われた「シブヤカップ」。白戸さんは第1日4アンダー68でトップに立つと2日目も68で2位に2打差の単独トップ、最終日を72の通算8アンダーでホールアウト、2位に3打差と圧倒的な強さで優勝した。

写真:白戸さん2

 ルーキー優勝、大会の初代チャンピオン。白戸さんにとっては実に15年ぶりの優勝に感激はひとしおだった。
 「最終日は10メートルをこえる強風、途中雷雨で1時間余の競技中断と試練は降りかかってきた。プレッシャーが何度もあったが、持ちこたえた。ミスを許せない自分とゴルフだからそういうこともあるさといった、ゆとりとの葛藤があった。これまでの経験が無駄ではなかったのかなあ、のりこえられたことがうれしい」
 レギュラーと違いコースも6000ヤードを切る長さ。体力があるルーキー、という心身の優位さはあったという。「でもゴルフはそれだけで勝負が決まらないことは一番わかっているだけに、そこを乗り切れてほっとしています」
 いま、そのツアー人生が変わろうとしているのかもしれない。
 6月のデビュー戦、福岡で行われた「ふくやカップマダムオープン」は2位だった。その時の賞金が90万円。今回の優勝賞金が150万円。レギュラーツアーと比べると決して多い賞金ではないが、計5戦が10月まで行われる。まだツアー数が整わず、賞金ランキングなど制度は整っていないが、白戸さんの獲得賞金240万円は現在のマネーランキング首位だ。「こうしてシニアになっても競技ができる。私も含め出場選手の充実感は試合であう。トーナメントは生きがい。いいプレーを続けて賞金女王になってみたい」
白戸さんにようやく欲みたいなものも芽生えはじめた。

 

写真:白戸さん3 女子ゴルフの人気が若手の活躍で膨らんで久しいが、今回は女子シニアの世界を紹介した。45歳以上のプロの大会「LPGAレジェンドツアー」もほぼ10年の歴史を持つ。往年の名選手が50人から60人、こぞって出場、にぎやかだ。正直いって、ツアーというには試合数は少ないが、「あの人は今どうしてる?」という選手、塩谷育代、?阿玉、村口史子、岡田美智子らが名を連ねて懐かしくたのしめる。ツアーではないが男子シニアと組みアマも一緒のトーナメントもある。日本全国、各地で30人、50人規模の大会も開催されている。ほとんどがアマ選手参加、一緒にゴルフをコースで楽しもうというコンセプトがある。夏泊ゴルフリンクスでも必ず取り組みたいイベントだ。

<LPGAレジェンドツアーの結果はホームページでご覧になれます> 

2014年9月3日

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ゴルフコースは時代を変える

―米屈指の名門、ファイアストーンとパインハースト―

 2014年、夏泊リンクスを訪れるゴルファーが多士済々、ファンが多くなったように思う。作家の池井戸潤さん、NHKのスポーツ中継の名アナウンサー,羽佐間正雄さん、女子プロの白戸由香さん、小林法子さん、、。
 ゴルフ史家の大塚和徳さんは、昨年初めて回って「自然がそのままある。すばらしい。自然が失われていない日本を代表する貴重なコースのひとつですね」と感嘆の声をつたえてくれた。世界のコースを歩き著書も多い方の評価は今後の指針となる。うれしかった。
 池井戸さんは旅の途中にふらりという感じでやってこられたが、苦戦を強いられた様子で、プレー後、求められた色紙に「次は倍返し」と悔しさをにじませ、リベンジを誓った。いま色紙はクラブハウス階段の目につくところに貼ってあり、必ず見るがつい笑ってしまう。くやしさを「倍返し」したいゴルファーの心情は誰の心も同じなのだ。

 ゴルフはやってみないと何がおこるかわからないが、次は、次こそはと思うか、思えないかが、ゴルファーの境目である。境目とは俺はこんなものじゃないぞ、とあきらめないか。もういやだとぶーたれるかの分かれ目でもある。ゴルファーのタイプはここで決まる。と言いながらゴルフは永遠に続くのだが、この分かれ目でどちらを選ぶかでそのゴルファーの質が決まると思うのだ。そしてそう仕向けるのはコースであり、自然なのだ。

写真:作家の池井戸潤さんとサイン

難コースでガルシアがハーフ27驚きのロースコア

写真:セルヒオ・ガルシア

 しかし、そんなことを言っているのはもはや時代遅れではないか。そんな気にさいなまれるこのごろだ。ボールが飛びすぎてゴルフがゴルフでなくなって久しいが、8月第1週に終わった米ツアー世界選手権シリーズ「ブリヂストン招待」ではマイッタ。
 大会2日目、セルヒオ・ガルシアはインを27、トータル61で回った。18ホールの半分、9ホールで9バーディー、8番から最終までの11ホールはすべてワンパットだった。驚いたことにこの大会で優勝したのはガルシアではなくローリー・マッケロイ。最終日、320ヤードのドライバーショットを連発し力で逆転勝ちした。パワー全開、300ヤード地点のフェアウエーバンカーをすべてキャリーで越えて先の全英オープンに次いで豪快に優勝、ついにワールドランキング首位である。マイッタのは、ゴルフの先行きへの不安だ。テレビをみながら「これでいいのか」と首ばかりをひねった。
 1976年、ゴルフの世界選手権を、とオハイオ州アクロンの名門ファイアストーンCCで始まった大会。7400ヤード、パー70、ゴルフ史上屈指の難コースは、ショートコースと化していた。飛距離は人智の努力のたまもの、と喜ぶときは過ぎたのではないか。ゴルフはドライバーの長さ、ヘッド容量、ボール初速の制限や規制では追い付かなくなっている。自然との闘いといわれたゴルフは素材がよくなったクラブやボール、扱う人の大型化、トレーニングメソッドの発達によってパワーゲームへと破滅の道を歩み始めていまいか。

 夏泊は大丈夫だろうか?実はゴルフを憂いているふりをしているが、心配は目の前にある。ファイアストーンの危惧は夏泊の恐れ。すべてのホールでハザードがハザードでなくなってしまうのは夏泊の現実でもある。ちなみに夏泊のチャンピオンティー(ブラックティー)は7192ヤード、パー72。ここ数年、世界の流れに沿って懸命にティーグラウンドを下げるなど世界中の多くのコース同様、飛距離のないプレーヤーの工夫や戦略、テクニック、駆け引きが通用しないのではゴルフはおしまい、といいながら、時代に遅れまいと必死に距離を伸長してきたのである。

全米オープン開催、パインハーストの大改造を考える

写真:パインハースト

 思い出していただきたい。6月、米東海岸のパインハーストナンバー2コースで開かれた全米オープンと翌週の全米女子オープンでのあの度胆をぬくコースの大改造である。
 男女のメジャーを同じコースで2週連続開催というUSGA(米ゴルフ協会)の英断を背景に、ラフというラフをすべて否定しラフの芝を根っこごと引っこ抜いた。くるぶしをうずめる米ツアーのタフなコースの象徴であるラフを取り払ったあとは、土の露出したウエストエリア(乾燥地)とした。もう百花狼藉の痛々しい姿に驚きを通り越し怒りすら感じた、という人もいたあの改造こそ世紀の決断だったのだ。
 「ゴルフはこのままでいいのかと考えたとき、われわれは何かをしなければならないと思った」主催の米ゴルフ協会(USGA)はその決意を世界に具体化した。1902年、伝説の設計家ドナルド・ロスが引いた設計図を基に忠実に復元したのだった。ティーとフェアウエーとバンカーとグリーンが茶色のウエストエリアと松林そして膝を覆うリンクスのラフの中に浮かび上がったパインハーストは、90年の歴史を逆行させることでゴルフの本質を取り戻そうとしたのである。

2014年8月8日

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ニクラウスが呼びかける新しいコース

― 全米プロシニア開催ハーバーショアにみる新しい時代の息吹 ―

 みなさんも感じているように最近はクラブが振りやすくなり、ボールが飛び、結果的にコースが短くなった。トッププロが520ヤードのホールを楽々とツーオンしバーディー、イーグルをとる。「ティーショットは300ヤード飛んだ。残り220で5アイアン」などと平然と言うのを聞くと”ま、仕方ないか”と思う。180センチの大男だからそれもあるさ、と自らをなぐさめる。だが、女子が、270を飛ばし残り250をスプーンで一閃、鮮やかに乗せてくるのをみると“どうなってんだ”といいたくもなる。年齢は15,6歳、身長160センチに満たないアマチュアの女の子がいとも簡単にやってのけるのを見せられると50年間やってきたことが、一瞬にして覆(くつがえ)ってしまったようで、シュンとなる。

 ゴルフジャーナリストとして50年。海外ゴルフの中継解説をして20年になろうとしている。ゴルフ専門チャンネルの中継解説も貴重な取材である。わたしが契約しているゴルフネットワークは、1996年、タイガーウッズがデビューした時と同時に開局、ゴルフ専門チャンネルはスタートしているが、以来、彼がやってきたゴルフの変革。ゴルフをことごとく変えていくのを、まさにつぶさに伝えた。

 5月末、 米シニアのチャンピオンツアー、「全米プロシニア選手権」が米ミシガン州ハーバーショアゴルフクラブで行われ解説を務めた。大会は75回を迎えた伝統の大会。昨年はセントルイルで、井戸木鴻樹選手が優勝、世界をアッと驚かせた、あの大会である。今回はミシガン湖を臨むハーバーショアに舞台を移し5月23日から25日まで行われディフェンディングチャンピオンとして戦う井戸木を誇らしく見た。室田淳が最終日まで優勝争いにからみ9位に入った。優勝はスコットランドのコリン・モンゴメリーがドイツのランガーとの接戦を制し優勝した。今回、皆さんにはそのコースのことを知っていただこうとキーをたたいている。新しい試みがあちこちにあり、ゴルフコースの将来像が提示されていて強烈な印象だったことをお伝えしたいのだ。

18ホールに4つのコースが散りばめられていた

写真:ジャック・ニクラウス

 コースは4つに区分され、それぞれが全く別のコースとなってゴルファーに供されるのである。ミシガン湖に向かってスタートするコースは最初の5ホール、続く6番から9番までの4ホール、さらに10番からの4ホール、そして14番からの上り5ホールがまるで別々のゴルフ場のように独立しているかのようだった。
 コース全体はスタートして時計回りにゴーイングアウト、カミングイン、つまり9ホール行って9ホールを帰ってくる、スコットランドのリンクスを原型としている。
 設計はジャック・ニクラウス。といえば押してしるべし。全英オープン開催コース屈指の難コース、ミュアフィールドに傾倒し、故郷オハイオにミュアフィールドヴィレッジを作り米ツアー“5つ目のメジャー”と言われる「メモリアルトーナメント」を立ちあげた。18ホールに一つとして同じ風向きがない、自然、それも風を攻略の目玉としたコンセプトに感銘を受け、踏襲した人である。その大御所がまた気合いを入れて作ったのが今回のハーバーショア、正式には「ザ・ゴルフクラブ・アト・ハーバーショアズ」(6852ヤード、パー71)である。

 コース設計においては担当制を敷き、1番から6番まではニクラウス、他は同設計事務所の精鋭たちが設計から完成までそれこそ心血をそそいだ。全体の統括はもちろんニクラウスだが、分担することで新たな息吹を導入する、そんな狙いがあった。

 ニクラウスは1~6番のうち、3番から5番までに「ゴールデンベア・サークル」という右回りの円形スタジアムを作った。6番から9番はミシガン湖の砂丘地帯。湖風を真っ向から受け、ブラインドグリーンの小さな平坦エリアに正確無比なショットを要求した。このエリアは一転左回りに4ホールが配置され「ドラマチック・チャージ・ホールス」(劇的な挑戦ホール)と名付けてある。

 第3のエリアは10番から13番で「ノーザンミシガン・ホールス」(北ミシガンを象徴するホール)と名付け広葉樹林の林間コース、樫やメイプルツリーの大木が林立した。ここは全体に右回り。そして14番から18番は乾燥地帯に川と池が織りなすタフなホールの連続であった。湖から地面をなめるように吹いてくる向かい風のティーショットはタフでパワーと正確性をもとめられた。合間にある17番は一転、左風を計算して打つ200ヤードをこえる“ロング・ショート・ホール”(長いパー3)と圧巻だった。

 これでお分かりかと思う。どれひとつとって同じ風が吹いていない。そして18ホールに4つの典型的なコースを組み入れてある。即ち、ニクラウス、砂丘、林間、ウエットエリア(乾燥地帯)である。「ニクラウス」とあえて書いたのは小さいグリーとうねり、バンカー、そしてクリークとくればニクラウス。そう、いまやその名はコース設計の基本となっている。さらにこのコースにはパウパウ川が流れ11ホールに絡み、実に15ホールに水がハザードになっている。

 4日間、深夜のスタジオで横山和正アナウンサーと計12時間中継した。さまざまな思いがあったが、「ニクラウスさん、やってくれたなあ」という感慨が一番だった。
 冒頭にふれたが、飛ぶゴルフの面白さ、と同時に、飛ばさないゴルフもあっていいのではないか。それらが共存してこそのゴルフなのに今の時代、飛ばしばかりを求めすぎていませんか?といいたい。身丈にあったティーグラウンドを使えばいいだろう、という問題ではない。身丈に合わない長いコースだけで行われるトーナメントやゴルフでは、ゴルフの幅がせばまりはしないか、いささかうんざり、というのが本音である。いや、老いぼれの無理難題ではない。ニクラウスがそういっている、と思うのだ。

飛ぶゴルフだけではなく飛ばさないゴルフがあってもよい

 今回のヤーデージは6800ヤードちょっと。シニアとはいえ短かすぎるのではないか。だが、大会を迎えニクラウスの狙いは一切、飛ばしをシャットしているようだった。こう言い切るエピソードがある。かつてニクラウスはケイマンゴルフを推奨し、その普及に躍起となったことが、もう20年も前にあった。いわく。「このままゴルフが飛距離ばかりを追求していくとしたらゴルフの将来にはよくない」―ドライバーでフルショットしても120ヤードしか飛ばないボールでショートコース

2014年6月1日

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