プロフィール

写真:武藤一彦氏

武藤一彦(むとう・かずひこ)

ゴルフジャーナリストとして新聞、テレビ解説で活躍。2005年から夏泊ゴルフリンクス理事。2017年理事長就任。他に日本プロゴルフ協会理事、世界ゴルフ殿堂選考委員などを務める。

1964年報知新聞社に入社。ゴルフは国内ツアーはじめ全英オープンなど世界メジャーを取材。スポーツジャーナリストとしてボストンマラソン、プロボクシングの世界タイトル戦なども取材した。

中でも全英オープンゴルフは1977年、スコットランド・ターンベリーのワトソン・ニクラウスの"世紀の対決"以来、数々の名勝負を観戦。リンクスコースへの強い思い入れと造詣で知られる。
1939年生まれ、東京出身。立大時代はゴルフ部。

マスターズが終わった

14日、夏泊ゴルフリンクス、ついにオープン

14日オープンした夏泊ゴルフリンクスの15番ホール。春の気配がいっぱいの空の明るさと残雪が見事なコントラストをみせた。 今年のマスターズトーナメントが終わりました。
 米ツアーの左打ち、ババ・ワトソンと南アフリカのルイ・ウェストヘーゼンがプレーオフで争い、その2ホール目に、ババが林の奥深くに打ち込む大ピンチから見事にピンそばをとらえ優勝しました。ババはマスターズ3人目のレフティーのマスターズチャンピオン。ウェストヘーゼンだったら南ア出身ではゲーリー・プレーヤーらに次いで4人目となるところでした。ちなみに左打ちのチャンピオンはカナダのマーク・ウイア(2003年)ミケルソン(04、06,10年)以来。オーガスタは右打ちのドローヒッターでないと勝てない、とか欧州勢が強い、といった最近のジンクスはひっくりかえされました。ババはフロリダ生まれのアリゾナ在住、「これまでいっさいコーチにつかずパブリックコースでひたすら腕を磨いた」というアメリカ人らしくないアメリカ人。もっともスライスといった方がいいような豪快なフェードボールが持ち味。であるなら右から左への球質、コースは合っていたということだったのですね。

 残念ながら石川遼は予選通過ならず、アマの松山英樹は決勝ラウンド進出で2年連続のベストアマへ好ペースも最終日に80と崩れてしまった。それでもセカンドアマに食い込むあたりさすがです。石川は今回、不発に終わりましたが、20歳でもう4回も出場した“実質成長”に期待が膨らむ。帰国した4月9日の成田空港の記者会見で中学の同級生との婚約を発表しました。大人のプロとしての今季を注目したい。

○マスターズ、ボストンマラソンを夏泊で

練習グリーンでパッティングの調整をするゴルファーたち。名物の高速グリーンは上々の仕上がりだ。 もう40年になります。日本の男子ツアーが立ちあがった1973年を境に海外取材が年々、頻繁になった新聞記者時代を思い出します。
 4月は女子メジャーのナビスコ・ダイナ・ショア(現在のナビスコ選手権)でカリフォルニア州パームスプリングスを皮切りに、翌週、マスターズを取材、さらにその翌週にボストンに飛びボストンマラソンを取材するのがゴルフ記者の定番の動きでした。西海岸の避寒地からジョージアのオーガスタ、そしてボストンへ。その取材はアメリカの春の訪れを体感しながら1カ月に及ぶロングジャーニー、長い旅でした。
 マスターズは映画「風と共に去りぬ」で知られるディープ南部の州都アトランタ近郊で行われ地元ではマスターズをもって春、とばかりみんな浮き立ちます。町は花やぎジョガーがめだちはじめ市民は旅行に行ったりピクニックしたりみんなが春を謳歌します。
 ボストンマラソンはまさに春開幕を告げる一大イベントでホプキントンからボストン市内に向け42・195キロを走る片道コースを走る世界的な大会です。もっともいまはその片道マラソンであることがアダとなって記録公認が成されなくなりましたが、かえって市民マラソン色が強く数万人が世界中から集まる大マラソン。大会は4月第3週の月曜日、米独立記念日のパトリオットデイのイベントとして行われます。市民はその日を境に春となる祝日を目いっぱい楽しみます。
 そしてマラソン当日には、必ず米大リーグ、ボストンが本拠地のレッドソックスの試合がかならずあり、フェンウエイ球場はマラソンの勝負どころ、あの有名な心臓破りの丘のすぐ近くにあり、トップランナーが通過するころには野球の観客が道路に出て応援し、選手が居なくなるとまたスタジアムに戻って野球観戦という光景が見られました。「そんなのありかよ」といわれるかもしれませんが、野球のチケットの版権があればこの日ばかりは出入り自由。いまはともかく20年前くらいまでは「有り」でした。そう、市民は春の到来をそうやって祝った。ボストン市も球場もホテルもバーもみんなで大はしゃぎ。そして近隣のゴルフ場もこの日をもって本格オープンとなるのはいまもかわりません。

○4月14日、ゴルファー待望のオープン

心躍るスタートホールは2012年シーズンの打初めだ。むつ湾に向かって足取りも軽い。 さて前置きが長くなりましたが、おまたせしました、夏泊ゴルフリンクスにもいよいよ春到来。4月14日、ようやくというか、ついにというか、やっとオープンしました。
 大雪の影響で1992年開場以来、最も長期のオフシーズンとなりましたが、14日の土曜日をもって2012年シーズンの幕開けです。これまで最も遅かったオープニングが4月6日、しかし、今年はその記録を丸1週間もうわまわる史上最も遅いシーズン開幕です。
 14日、待ちかねたゴルファー、約70人がコースに飛び出して行きました。
 コースはその全貌を雪の下から姿を現し、若葉も萌たちはじめました。最上支配人以下スタッフ、食堂とコース管理の面々は遅れた春を取り戻そうと大わらわです。コースはアウトに雪が垣間見え、今年の豪雪の名残りをとどめますが午後には陽もさしゴルファーのはなやいだ歓声とさんざめきでいい雰囲気です。「グリーンは前日に刈り込みローラーもかけて良い加減のスピードが出ています。14日にオープンできればいいと準備をしてきましたが、グリーンコンデションがすばらしくオープンに踏み切ることができました」“私たちも待ち切れなかった”と最上悟支配人の声も弾んでいます。そうです、本当にお待たせしました、東北の春、夏泊のゴルフ開幕。リンクスの春がはじまりましたよ~。オーガスタに負けず、ボストンを上回る春の謳歌が聞こえ始めました。
 

 

img-mutoho2.jpgゴルフジャーナリスト。ゴルフ評論家。1939年11月・東京・杉並で生を享け、その後、世田谷区で育った。池ノ上小学校、北沢中学、都立千歳高校を経て1960年に立教大学社会学部新聞学科に入学する。大学では新聞文章論などを専攻した。部活はゴルフ部。奇しくも1957年の「カナダカップ」(現ワールドカップ)で中村寅吉、小野光一プロペアの日本チームが優勝し、さらにこれが日本初の本格的な国際試合の開催、初のテレビ中継に加え、日本が世界一になったことからゴルフに注目が集まり、ゴルフ部には100

2012年4月14日

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