プロフィール

写真:武藤一彦氏

武藤一彦(むとう・かずひこ)

ゴルフジャーナリストとして新聞、テレビ解説で活躍。2005年から夏泊ゴルフリンクス理事。2017年理事長就任。他に日本プロゴルフ協会理事、世界ゴルフ殿堂選考委員などを務める。

1964年報知新聞社に入社。ゴルフは国内ツアーはじめ全英オープンなど世界メジャーを取材。スポーツジャーナリストとしてボストンマラソン、プロボクシングの世界タイトル戦なども取材した。

中でも全英オープンゴルフは1977年、スコットランド・ターンベリーのワトソン・ニクラウスの"世紀の対決"以来、数々の名勝負を観戦。リンクスコースへの強い思い入れと造詣で知られる。
1939年生まれ、東京出身。立大時代はゴルフ部。

エージシューターに学ぶスコアメイク

 夏泊が3月20日にオープンしたと聞いてびっくりしている。兄弟コースの津軽高原、びわの平の今季の開場は4月10日過ぎという予測の中、夏泊リンクスは例年通りの3月オープン、待ちわびた北国のゴルファーにはうれしいことだろう。
 記者時代取材した、世界最古のトーナメント、全英オープンは毎年7月中旬、そう、真夏の開催だが、北海に近いスコットランド開催のときなど、一転、かき曇るとセーターを着こんでもまだ寒く、その上にウインドブレーカーの上下を着こんだものだった。が、青森の夏泊、日本を代表するリンクスは、冬だというのに暖かいのか、とキツネにつままれたような気持ちである。

 なにはともあれ、コロナ禍ながらどうやら五輪も開催にこぎつけられそう、プロ野球、サッカーも観客の応援を1万人限定で認めた。スポーツは密着、密接の緊急事態の枠外とみなされはしても、そこは遠慮が働いて、なんとなく自粛ムード。そんななかリンクスの開幕は、コロナで凝り固まった心身の筋肉をほぐしホッと安堵させる温かみがあってうれしい。

 さて、ゴルファーには驚きのニュースだ。このコラムでも、何度も紹介させていただいた、驚異のエージシューター田中菊雄さんである。1935(昭和10)年3月3日生まれ。85歳時の2020,21年シーズンは、エージシュートを、ついに740回の大台に乗せた。

 71歳で初エージシュート、以後6年連続年間記録を更新、83歳で通算400回、84歳で600回越え、迎えた86歳の誕生日前日の3月2日、遂に740回達成である。

 3月2日、ホームコースのよみうりGCを38,42の80で回ったのが始まり。猛暑の8月2日から、9月17日までの40日間は、1日も休まず、40日間連続プレー、そのすべてのラウンドで40連続エージシュートもやってのけた。この間、木更津GC(千葉)に3回”遠征“した以外、すべてよみうりGCに腰を据え記録に挑んだ。実は古い仲間と「コロナでもあるし地元で、みんなで本気で挑戦しようではないか」と近場に集中。いわば“コロナ対策”が功を奏したわけだ。

 筆者も8月5日のラウンドには「プロゴルファー猿」の漫画家、藤子不二雄(〇の中にA)さんらとご一緒した。田中さん、アウトで46をたたきながらイン37と巻き返し83と粘ったのは見事だった。よみうりGCのハンデ6の田中さん、これまで300回以上、エージシュートをやった得意コース、慣れたコースの恩恵を受けたのは大きかった。

 40ラウンド中、8月中旬には75の10アンダーエージシュート。9月15日、よみうりランド杯は74のベストグロス、11アンダーのエージシュート。さらに9月17日には自己タイの12アンダーエージシュートの73を出した。この間、40ラウンド、実に平均ストローク79・10。40連続はこれまでの19を大きく上回る新記録。さすがの田中さんも目を白黒して驚いていった。

 「コロナに侵されて死ぬのも、ゴルフをやり過ぎて死ぬのも同じなら、ゴルフをやって死んだ方が本望とやっています」。3月3日の誕生日に85歳の第1号、通算523回の好スタート。以後、エージシューターは月間、最少で11回、最多は25回を記録、85歳時の1年間で過去最高の217回を記録した。

 こうした快挙のおかげで85歳時、217回は15年に及ぶエージシュート人生年間最多。さらに驚くなかれ、ラウンド数は316ラウンドをこなした。1年365日、休んだのは49日間だけ。

左が田中さん、右が筆者の武藤一彦

 ―疲れませんか?の問いに「雪だるまを転がしていたらどんどん大きくなりいま転がり始めた。疲れ?流れに乗っている。繰り返しが進歩につながっている。人生で今が一番、若いんじゃないかという気がする」―86歳は2021年4月。また転がり始めた。

2021年4月5日

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北の夏泊リンクスから ゴルフレッスンのすすめ

 コロナ禍による数々の規制で伸び伸びとなっていた夏泊を8月末、半年ぶりに訪れた。各委員会と理事が合同で出席する理事・委員合同会議が、伸び伸びになっていた。2月、まだ雪の中で開催された第1回の理事会以来の青森だった。
 新幹線利用の移動日の初日、市内で夕食をとった。町は車の往来が少なく、広い片道3車線のメーンストリートは、ネオンが煌々と明るいのだが、人がいない。今年はねぶた祭も中止され経済の停滞を招いた。いつになくおとなしい街並みは砂漠の町、ラスベガスのように広かった。

 翌日は会議に先立ち理事・委員、32人が参加する恒例のスクランブル競技。4人一組がチームを組み、第2打地点の最適点からホールアウトまで4人が同じ地点からグリーンを狙うオルタネイトのチーム戦。密着、密集を避け、グリーン上、バーディーが出ても“ひじタッチ”でささやかに祝福するなど何かと不自由。そこは4人一組のカートプレー、国や地方自治体が5人以上の集まりに自粛を促す呼びかけをクリアし、プレーを楽しんだ。

 ゴルフはもともとクラスターの心配がない。ましてや下手同士(いや自分のことです)、スライスとフックにチョロとダフリが入り混じり密着する暇もないスポーツだ。クラブハウスは広くロッカーも温泉風呂もプレー終了順の時差利用。いま時こんな最適なスポーツはないと思う。コロナ発生でオリンピックまで中止になってスポーツの特性はどこかに追いやられ、スポーツ行事は軒並み中止に追い込まれてしまった。本来スポーツは元気で長生き、人生に必要不可欠な存在だったハズが、真っ先にスポイルされた。もっと積極的に打倒コロナを前面に打ち出せなかったか、と歯噛みしているのだが、こんなことを言うこと自体が憚られるのだから悔しい。

 前置きが長くなったが、その翌日の3日目、夏泊リンクスでは理事、山本幸路プロによるラウンドレッスン会を開催した。実はゴルフ界は男女のトーナメントも中止や延期でズタズタ。いつ解決できるかわからない混迷の時代である。しかし、最盛期の夏をむざむざとやり過ごすには危機感を持った。そこでかつての関西オープンチャンピオン、山本プロに活を入れてもらおうとレッスン会を開催してもらった。この内容が素晴らしいので紹介する。

 

 スタート前、アプローチ練習場。プロは全員にまずグリーン周りから好きなクラブで20ヤードほどのアプローチから始めた。「体を起こしスタンス中央に球を置く。アドレスでグリップエンドは胸のくぼみを指すようにアップライト。そのアドレスからスタンス真ん中の球を左右対称スイング。クラブフェースの中心で球の中心を打って送り出す」と姿勢と中心で打つことを強調。たちまち覆いかぶさっていた姿勢がすっくと立ちアドレスが美しくなった。黙々と10分、全員、基本ができたのを見届けると次に「球を右足よりに置き、フェースをピンに向けインサイドアウトに打ち転がる球。それが出来たら、球を左、フェースを開いてピンへ向けアウトサイドインでピッチエンドラン」この練習は5分くらい。驚いたことに球はカップ回りにすべて集まった。
 基本があり、その上に立って球を右にインサイドアウト、その時フェースをカップに向ければランニング。球を左に置きフェースを開きカット気味に打てば球は高く飛びスピンがかかってピッチエンドラン。プロはスイングとフェースの向きによる球の打ち分け方、ボールコントロールを一番小さな、アプローチで教えたのだった。

 この“理屈”はその後のラウンドレッスンのテーマだった。これが基本となってヤマモトワールドは魔法のように自在に展開した。参加者はクラブチャンピオン3年連続のつわものからビギナーの女性ら9人。レッスンは3人一組に分け、10番からプロが3ホール、付きっ切りでラウンドレッスン。次いで2組目は13番から3ホール、最終組は16番から、プロが3ホールを単位に徹底レッスンの実戦だ。

 

 夏泊12番、池越え140ヤードの難ホールだった。強い風が左から吹いた。ティーイングエリアでプロは「スタンスはピンにスクエア。風が左から強く吹いているのでクラブフェースをピン左5メートルへ向け、しっかりスタンスの向き、ショットはピンへまっすぐ振ってください」。メンバーの男性二人はグリーン周りへ。池に入れずホッとした雰囲気。3人目ビギナー女性。緊張していたが、プロは男性陣と同じ支持を繰り返すと女性は、8アイアンのショットをピンにまっすぐ、見事なストレートボールでピン左の2メートルにつけた。プロはしてやったりと「ナイスショット」と拍手。「スタンスをピンへ。フェースだけを左に向け左の風に負けないようにしてピンにまっすぐ振り切った。ゴルフをやって、間が無い女性は素直で成功率が高い」とほめた。

 プロはフック、スライスを自在に打てるからうまいと思っていたが、こうして余計なことをせず、風の向きにフェースをねじってピン左5メートルへ向けただけで、ストレートに変えた。強風が左から来ているのだから左へフック。フェースを向けるだけでできるのだからだれでもできる。やることが決まり準備を整え、あと好結果を楽しみにショット。女性の虚心坦懐(たんかい)さに驚くと同時にゴルフの深さを見た思い。それにしても140ヤードを8アイアンだ。フェースを左へ向ければ確かにつかまりはよくなり回転も良いアイアンショットは風に強いが、いまどきの女性のパワーアップには驚きだった。

 

「左足上がりのアプローチはインサイドアウト。腰の高さまで手をあげて左ひざの前で打ち込んで30ヤードのアプローチショット」

「左足上がりのフェアウエーウッド。球は右に置き、フェースを開き、インサイドアウトスイング。左足上がりライなのでクラブのトウ(先の方)で打つと芯に当たる」

「両ひざを折り広いスタンス、ひざを伸ばさず球の下を打つつもりでしっかり手を伸ばせ。だが、大振りするな。急坂の前下がりショット」

「男は手で打つ。女は足で打つ。女性の方がゴルフを知っているかな?人間足で歩けば10キロ歩くが、手では10メートルも歩けませんよ、男性の皆さん」

 

 プロの即席の格言は耳に心地よかった。

 ―バックスイングで力が抜けない。クラブ選手権3連勝の米沼貴之さんの悩みにはプロは「肩の力を抜き軽いキャッチボールのつもりで打てばよい。上体の力を入れないゴルフが下半身を生かし、鍛えます」とたちどころに矯正した。男性陣にとぶ”叱咤“はどれも力みすぎでガチガチに固まった肩、ひじ、グリップから脳裏に心地よく、反省を促してたちまちリラックス、面白いように快音が続いたものであった。

 

 青森のシーズンは残り2か月。コロナの影響は先行き予測を阻んでもどかしい。だが、以前にこだわっても仕方ないと思う。1日も早く心の平穏を取り戻し心置きなくゴルフに取り組む。そんな日のためにフェースの向きを変えるゴルフ。フェース、すなわち顔の向きといってよい。顔を新たな向きに据えて自分の世界をかえて行く時代が来るような気がする。心穏やかに、しかし、前向きにいいゴルフをしたいものだ。その日を目指し、夏泊からのプレゼントで~す。

2020年9月7日

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風とグリーンが全英オープンを“演出”する夏泊リンクスで 第2の畑岡奈紗、渋野日向子を育てる中嶋合宿、いよいよスタート

 中嶋常幸プロが主宰するトミーアカデミー合宿が昨年末、夏泊ゴルフリンクスで行われた。第2の松山英樹を目指す男子4名、畑岡奈紗、渋野日向子を目指す女子3名の選抜メンバー7人は昨年11月、ロッジに3日間泊まり4日間みっちりラウンドを行った。1954年生まれの中嶋65歳。ジュニアで日本パブリック選手権、日本アマ優勝、プロとなって日本プロ、日本オープン、日本シリーズなど日本8冠を含むツアー59勝、シニア5勝。80年代には賞金王4回に輝いたレジェンドは、所属する静ヒルズCCで畑岡らを育て、世界に送り出した。ジュニアという言葉が珍しかった時代、ジュニア出身のパイオニアだった中嶋が東北の青森で第2、第3のホープ育成に本腰を入れ今後、毎年秋恒例のイベントはとして行われる。地元ジュニアの育成イベントも計画され期待が集まる画期的なイベントを紹介する。

 そもそも夏泊にやってくることになったのは、こんな、いきさつ。子煩悩で知られる中嶋プロは、夏休みには家族4人で必ずキャンプ生活を楽しんできたが、青森では20年前から十和田湖の釣りとゴルフが定番でもっぱら日本海側の鯵ヶ沢近辺が多かった。そんな折り、一昨年夏、青森滞在中、初めて夏泊をプレーして「ゴルフリンクスの難しさにしびれた。こんなコースが日本にもあったのかと感動した」のだった。16番パー5だった。「アゲインストの強風が吹き16番、635ヤードは、ドライバー、3番ウッド、3打目は「直ドラ」のナイスショットでグリーン脇までたどり着くのがやっとだった」と久しぶりに血が躍ったという。
 今回4日間の合宿中も2日間が強風、1日はそよ風、もう1日はやや強風だった。「故郷・群馬の空っ風も有名だけど、夏泊も負けてはいない」と振り返る。

 夏泊では95年に日本プロ選手権が開催され、佐々木久行プロが優勝したのは周知のとおり。だが、その年、中嶋プロは大会前週のフジサンケイで優勝しながら風邪をひき欠場したこともあって何かと気になっていた。日本プロは日本最古の公式戦。病気とはいえ欠場は、プロ生活最大の汚点と受け止め、こだわりとなっていたのかもしれない。新鮮な驚きが次々と湧き出てきたという。

 「6番ティーから函館を臨む3方が海の景観もあるアウトの9ホールもいいが、インの9ホールには全英オープンと思えるリンクスの雰囲気がいっぱい。強風の日はアゲインスト、横風が吹き、本当に全英オープンになる」そして、その感性はグリーンにも注がれた。「世界のグリーンはポワナグリーンというのは今や世界の常識だが、夏泊のグリーンが日本では最も近い。ポワナは和名がすずめのかたびら。日本ではベント芝を食い荒らす悪者みたいに言うが、アメリカの中西部など名コースと言われるトーナメント会場の多くはポワナの高速グリーンだ。夏泊はポワナではないが、本州最北端の厳しい環境が最も世界に近いグリーンを作り出して貴重。ジュニアには1日も早く慣れさせようと連れてきたが、良かった、いい経験ができた」と大変なほれ込みようだ。

 夏泊とトミーアカデミーでは今後、これらの特性を生かし恒久的にジュニア合宿を計画していくことになる。時期は寒さに入る今年と同じ11月。全英の厳しさを求めて繰り広げられる。

 中嶋のプロ処世訓ともいえる考えを1、2,あげさせてもらう。
 「トーナメントに勝つことは、突き詰めれば1番上手くコースと戦えた人が勝つのだと僕は思っている。単純なことで、誰よりも自分自身が、技術と勇気と忍耐力を持ってコースに勝ち抜くことが試される。それがトーナメントだ」
 「強風が吹く夏泊ゴルフリンクスは、ボギーを打ってもダボを打っても、良い先生に指導される生徒の気持ちのようになれる。次は克服してやるぞという気持ちになる。夏泊は春と秋の風がいいらしい。強風の日にラウンドすれば、誰でも最高の教師に教えてもらえる」―

 筆者は、95年の日本プロで夏泊を知りのちに理事を経て理事長を拝命した。当夏泊リンクスのコース設計者、海老原寿人社長が立大ゴルフ部の後輩という内輪な事情があるもののゴルフ記者を経て夏泊と深い関係ができたことをグッドラックのなせるわざ、あるいは運命と受け止め享受している。同じことが中嶋プロとの間にも起こった。新聞記者時代、中嶋プロの76年ゴルフダイジェストのツアー初優勝をはじめ優勝した試合のほとんどを取材した。78年全英オープンデビュー(セントアンドリュース)には同じ飛行便でスコットランドまでの遠征に同行。中嶋プロが全英オープンで最終日、最終組を回った86年、ターンベリーでは、強風の中、豪州の白鮫、グレッグ・ノーマンと丁々発止とやりあい、ノーマンに優勝を譲る8位に終わったが、現地特派員としてともに胸を張って世界と戦った、いい思い出を共有して今思い出すに興奮する。昨年夏、渋野日向子が全英女子オープンで快挙をもたらしたが、歴史は突然作られるものではない。先人の足跡が必ず何らかの相乗効果を及ぼす、と日ごろ思っている身には、中嶋の姿がオーバーラップしたことだった。トミーは昔から人の気持ちをそらさない、いいやつで涙もろく、他人はほめるが、決してけなさず自分の失敗は許さず、時に声を放って泣く純粋さにほだされファンとなった。そんな人間たちがいま夏泊にどういう運命か、集まった。中嶋プロには予想外のお褒めをいただき、こんな光栄なことはないとひたすらよろこんでいる。合宿が毎年滞りなく行われ、ジュニアがすくすくと育つ環境を夏泊が支援できることを心から誇りに思う。バックアップを惜しまない。思う存分、ジュニアを、ゴルフを、中嶋プロには育てていただきたい、と思う。

(この記事は、ゴルフ隔週誌アルバトロス・ビュー「アルバ」12月号の中嶋プロの人気コラム「すべては最善のために」を参考にしました。ありがとうございました)

2020年2月4日

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夏泊ゴルフリンクスに開いた驚異のエージシューター田中菊雄の世界

本 田中菊雄の世界

 エージシューター田中菊雄さんのことは本コラムでも何回か紹介したが、田中さんのエージシュートは令和元年の9月19日現在、480回を数えたことをここでご報告しておきます。現在84歳の田中さんは71歳の時、70のエージシュートをやったのを期に14年間、エージシュートに挑戦。その数、ついに480の大台となり、達成コースは実に64コースに達した。

 エージシュートは自分の年令と同じか、それ以下のスコアで回ることを言いますが、健康で長生きしゴルフを続けていれば誰でもできる、ある意味、こだわりのゴルフの楽しみ方。だが、ホールインワンと違って、年令と同じスコアとなるとそう簡単ではないのは誰もが知るところです。プロの名手でも年を重ねれば体力気力の衰えが足を引っ張り、若い時のスコアは望むべくもないのが現実です。

 でも、田中さんにとっては、この年令との追いかけっこがいま、実にいい関係にある。そう,トシを重ねるごとにエージシュートがふえているのです。64コースで480回のエージシュートを年令別にみると79歳までの9年間で54回だったのが、80歳では年間50回と急増。以後年を重ねるごとに毎年、回数は増えつづけ83歳時には125回。そして84歳の今年は、来年3月3日の誕生日まで丸5か月も残しているというのに、すでに80回を数え、このペースだと自己の年間記録125回をはるかに超えるハイペースなのだ。

 田中さんには夢がある。「ギネスブックには生涯で2000回を越えるエージシュートをやっている人、102歳でエージシュートを達成した人の記録もあるが、世界一の長寿国・日本は、みんなが元気で長生きを目指すことがテーマとなっているいま、その先頭に立って頑張って行きたい」のだ。

夏泊を訪れた田中さん

 田中さんは今年も8月、夏泊ゴルフリンクスを訪れた。41,42の83で回りエージシュートをやった。夏泊には毎年夏に3年連続の挑戦だが、17年は初来場で39,38の77、さらりと回ったときは本当に驚いたものだ。だが、その翌年はスタート直後の2番、強い向かい風のパー3で池に2発入れる7で気勢をそがれ失敗している。夏泊は風次第で難易度は大きくぶれて大変なのだ。

 夏泊のエージシューターといえば、メンバーの溝江金吾さんという人がいらっしゃった。99年夏、73歳の溝江さんは60人のコンペのレギュラーティーから73、さらに4年後、77歳のとき76で5回目を達成している。その顛末はコースの会報誌「MARINA」(マリーナ)のコラム「たかがゴルフ されどゴルフ」に掲載されている。「今思えば、私が病気にならなかったならば、その病気がガンの宣告でなければ、エージシュウト(原文のまま)などあり得なかったと思う。弘前大学病院での闘病において、もう一度ゴルフをやりたい、もう一度グリーンを、緑のフェアウエイを駆けてみたいの一念がなければ、今日の私はなかったし、エージシュウトもなかったはずだ」とある。

 田中さんには年間230ラウンドをこなす体力がある。好奇心が強く、冒険心も旺盛だ。だが、59歳で大腸がんを20センチも切る10時間の大手術。78歳で白内障、79歳で前立腺と3回の手術を経験している。人生は照る日、曇る日。ゴルフの神はゴルファーに同じ試練を与え給もうのである。

2019年9月24日

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